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大阪地方裁判所 昭和35年(行)7号 判決

原告 江田仁郎

〈外一〇名〉

右原告等一一名訴訟代理人弁護士 東中光雄

同 石川元也

同 小牧英夫

同 宇賀神直

同 荒木宏

右弁護士小牧英夫訴訟復代理人弁護士 松本健男

同 小林保夫

右弁護士石川元也訴訟復代理人弁護士 上田稔

被告 大阪市長 中馬馨

右訴訟代理人弁護士 色川幸太郎

同 林藤之輔

右弁護士色川幸太郎訴訟復代理人弁護士 中山晴久

主文

原告等の本件訴をいずれも却下する。

訴訟費用は、原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は、「被告が昭和二四年九月一二日付でなした、原告江田および同中納に対する免職処分としての解職処分ならびにその余の原告等に対する免職処分としての解傭処分は、いずれも無効であることを確認する。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、

一、原告等は、いずれも大阪市の職員で、別表記載のとおりの地位および所属にあったものである。

二、ところが、被告は、原告等の意に反する免職処分として、昭和二四年九月一二日付をもって、原告江田および同中納に対しては解職処分を、その余の原告等に対しては解傭処分をなした。

三、しかしながら、右解職および解傭処分(以下単に本件処分という)は、次に述べるとおり明白かつ重大なかしが存するから無効である。

(一)  被告は、本件処分を同年に制定された定数条例に基づいてなしたものであるが、右条例による整理には具体的かつ妥当な理由がなければならないものであるにもかかわらず、本件処分にはそのような理由は全くないのである。このことは、被告の原告等に対する右処分の真意が、以下に述べるようなものであることを示すものである。

(二)  原告等に対する本件処分は、原告等が当時日本共産党員であったことを唯一の理由とするものである。このことは、共産党を脱党した者や脱党を誓約した者が整理の対象から除外されていること、原告等が従来から就業規則違反、勤務成績不良などで注意をうけたことがなく、またそのような事実もなかったこと、人員整理にかこつけて共産主義者や組合活動家を解雇することは、当時の支配権力者や使用者が公然と主張していたことであり、またその主張のとおりすべての官公庁や企業において、いわゆるレッドパージが行われていたことからも明らかである。従って、本件処分は、原告等の政治的信条を理由とする明白な差別扱いであり、憲法第一四条、労働基準法第三条に違反し無効である。

(三)  また、原告等は、いずれも従来から組合専従者や組合役員又は職場の活動家として熱心に組合活動に従事していたものであるが、本件処分は、いずれも原告等の正当な組合活動の故をもってなされた不利益取扱であって、憲法第二八条、労働組合法第七条第一号に違反するものであるから無効である。

四、よって、原告等は、本件処分が無効であることの確認を求める。

と述べ、被告の本案前の抗弁に対し、

一、第一項の事実は認める。

二、原告江田、同楠田、同中納、同小野、同平野、同豊田、同豊崎および同芝野(以下これら八名を単に江田等八名の原告という)が大阪府地方労働委員会においてなした和解は、右原告等の窮迫に乗じ、脅迫にも等しいかしある意思表示によって成立させられたものであり、また右和解における右原告等の意思表示には重大な要素の錯誤があり、さらにその内容も公序良俗に反するものであるから、いずれの点からみても無効である。

三、仮に、右和解が有効に成立したものであったとしても、江田等八名の原告は、右和解によって訴権を失ったものでも放棄したものでもなく、右和解の存在が、本件訴の利益を失わせるものではない。すなわち、中央労働委員会規則第三八条第二項には、「和解が成立したときには事件は終了する。」と規定しているが、右の法意は、文字通り和解の成立によって労働委員会の審査手続が終了するということにつきるのであって、和解になんらかの特別の効力を与えているものではない。従って、右原告等が当該審査事件で和解の成立した不当労働行為の同一事実関係について再び労働委員会に救済の申立をなしえないとしても、同一事実関係につき裁判所に対して訴を提起することについては、なんら障害となるものではない。前記和解における「爾後一切の異議を申立てざること」との文言も、公権たる訴権の放棄を意味するものではなく、せいぜい裁判外の不起訴の約束にすぎないものであり、江田等八名の原告の訴の利益を失わせるものではない。

と述べ、被告の本案についての主張に対し、

一、被告の原告竹本、同村岡、同河端(以下、これら三名を単に竹本等三名の原告という)に対する行政処分は、その名称のいかんにかかわらず、実質的には右原告等の意に反する解雇処分にほかならないのであるから、この点については他の原告となんら異るところはない。

二、被告主張のように、原告豊崎について、昭和二四年九月一二日付の解傭処分が取り消され、再び同日付で依願解傭処分がなされた事実はないが、仮にそのような事実があったとしても、それは実質的には同原告の意に反する解傭処分であり、当初のそれとなんら異るものではない。

と述べ、「乙号各証の成立を認める。」と述べた。

被告訴訟代理人は、本案前の申立として、「江田等八名の原告の本件訴をいずれも却下する。訴訟費用は、同原告等の負担とする。」との判決を求め、本案の申立として、「原告等の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は、原告等の負担とする。」との判決を求め、本案前の抗弁として、

一、原告江田、同楠田、同豊田、同豊崎は、昭和二四年一〇月四日、原告中納、同小野、同平野、同芝野は、昭和二五年三月一日、それぞれ大阪府地方労働委員会に対し、本件処分(豊崎については、後記の当初の解傭処分を指す。以下同じ)は不当労働行為であると主張して復職及びバックペイの救済命令を求める申立をなした。同委員会は、前者の申立にかかる同委員会昭和二四年(不)第一三号事件と後者の申立にかかる同委員会昭和二五年(不)第五号事件とを併合して調査および審問をなしたが、その途上において、原、被告双方に対し和解の勧告をなしたところ、昭和二六年五月七日、同委員会において、江田等八名の原告と被告との間に次のような和解が成立した。

(一)  被告は、右原告等に、係争中に要した諸経費に対する実費弁償の一部として、金五〇万円を支給すること。

(二)  右原告等は、本紛議に関し、爾後一切の異議を申立てざること。

右和解は、中央労働委員会規則第三八条に基づくものであり、前記不当労働行為事件は、右和解の成立によって終了した。そして、被告は、遅滞なく右条項に基づく金員の支払をなした。

二、右のように労働委員会の救済手続中における和解は、当事者双方が互に譲歩した結果の一致した陳述であり、一面においては当事者間に民法上の和解が成立するとともに、他面においては事件が当然終了することとなっている。本件においては、右原告等は、本件処分を認めて爾後一切異議を述べないこと、および雇傭関係の存続を前提とする給与の請求は前記金五〇万円を除いては放棄することを表明し、被告も右金五〇万円を支払う限度において譲歩し、互に争をやめることを契約し、これによって前記不当労働行為事件は当然終了したのである。

三、以上のとおり、右当事者間においては、昭和二六年五月七日、雇傭に関する権利関係を右和解によって解決したものであるから、江田等八名の原告が、右和解における合意に反して本訴を提起することは、既に解決を見た権利関係についての争を再び繰り返すことになるのであり、このような訴訟は、裁判所の判断を求めるに足りる権利保護の利益を欠くもので、不適法といわねばならない。

と述べ、本案の答弁および主張として、

一、請求原因第一項の事実を認める。

二、同第二項の事実は、原告竹本、同村岡、同河端、同豊崎に対するものを除きこれを認める。右原告等に対しては、後記のように依願解傭処分がなされたのである。

三、同第三項の事実中、本件処分が定数条例に基づいてなされたものであることは認めるが、その余の事実は否認する。

四、(一) 大阪市においては、昭和二四年九月七日公布された定数条例に基づき多数の定数外の職員が生じたので、被告は、これらの職員に対して辞職を勧告し、これに応じたものには俸給を一号給増給するほか、解雇予告手当をも支給することにした。俸給が一号給増給すれば、俸給を基準額として算出される退職給与金、大阪市交通局共済組合普通脱退給与金、特別退職給与金もそれだけ増額されることとなるのである。竹本等三名の原告は、右定数外の職員となったので、同月一二日、所属長より右のような当局の方針を説明して辞職を勧告したところ、同原告等は、それぞれ辞職願を提出した。そこで、被告は、右原告等に対し、同日付依願解傭処分をなしたものである。右原告等が定数外の職員とされたことに不満の念を抱いたとしても、右原告等の所属していた労働組合さえ当時被告のとった措置を止むを得ないものとしたのであり、右原告等は、このような客観情勢とあらゆる利害得失を比較考慮したうえで右のような途を選んだものである。

(二) 原告豊崎は、昭和二四年九月一二日、一旦解傭処分を受けたが、その後同年一二月一四日にいたり、家事の都合で辞職したい旨願い出た。そこで右原告については、右解傭処分が取り消され、同年九月一二日付で依願解傭処分がなされたのである。

(三) 右のように原告竹本、同村岡、同河端、同豊崎については、辞職の申出があり、被告は、これを承認して依願解傭処分をなしたものであるから、原告等が主張するような無効事由の存在する余地はない。と述べ、立証として、≪省略≫

理由

一、被告は、江田等八名の原告の本件訴訟は権利保護の利益を欠き不適法であると主張するので、まずこの点を調査する。

(一)  被告の本案前の抗弁第一項の事実は、当事者間に争がない。

(二)  江田等八名の原告は、右原告等が大阪府地方労働委員会においてなした和解は、右原告等の窮迫に乗じ脅迫にも等しいかしのある意思表示によって成立させられたものであり、また右和解における右原告等の意思表示には重大な要素の錯誤があり、さらにその内容も公序良俗に反するものであるからいずれの点からみても無効であると主張する。しかしながら、被告の本案前の抗弁が主張されたのは本件第一回口頭弁論期日(昭和三五年三月一〇日)であるところ、原告等代理人は、本件第五回口頭弁論期日(同年七月二三日)に、被告主張の和解の成立については次回口頭弁論期日に明らかにする旨陳述しながら、本件第三〇回口頭弁論期日(昭和四〇年三月一二日)に至りようやく右和解の成立したことを認めるとともに、前記のように右和解が無効であるとの主張をなしたものである。このような経過に徴するときは、江田等八名の原告は、故意又は重大なる過失によって時機におくれて右主張を提出したものと認めざるを得ない。しかも、右主張事実については、新らたな証拠調を必要とする点よりみれば、訴訟の完結を遅延させるものと認められる。よって、民事訴訟法第一三九条により職権をもって原告等の右主張を却下する。もっとも、右和解は後記のように訴訟要件としての権利保護の利益に関するものであるが、この点につき、訴訟要件たる事実の存否が職権調査事項とされるところから、民事訴訟法第一三九条が右のような権利保護の利益の存否に関する前提事実の主張についても適用があるか否かは、一応問題の存するところではあるが、権利保護の利益を発生せしめる具体的事実に関しては究極において弁論主義が適用されるものと解すべきであるから、この点についての攻撃防禦方法の提出は結局当事者の責務にかかるものであり、当事者がその責務を十分に果さないときは、そのために不利益を蒙ってもやむを得ないというべきであるから、当裁判所は右の点を積極に解し、前記却下の判定をする次第である。従って、被告主張の右和解は、他に職権で無効とする事由も存しない以上、何等のかしもない有効のものといわなければならない。

(三)  ところで、労働委員会の救済手続中になされた和解が当該不当労働行為事件を終了せしめる効力を有することは中央労働委員会規則第三八条に明定されているところであるが、右のような和解が私法上の和解としての効力を有することもまた明かである。そして、前掲当事者間に争のない事実によれば、本件処分に関する紛争は、右当事者間においては、既に解決したものというべきである。しかも、右和解における「本紛議に関し爾後一切の異議を申立てざること」の趣旨は、江田等八名の原告が、単に不当労働行為としての同一事実関係について再び労働委員会に対し救済を求めないというにとどまらず、本件処分に関する右当事者間の権利関係についての紛争の全面的解決を意味し、該紛争について爾後裁判所に対し訴を提起しないとの私法上の不作為義務をも負担するものであることが、右和解条項の文言全体及び成立に争のない乙第二号証に照して認められる。従って、同原告等がその後において本件訴を提起したことは、既に解決をみた権利関係についての争を再び繰返すものであるとともに、右不起訴の合意にも反するものである。このような訴訟は、裁判所の判断を求めるに足りる権利保護の利益を欠くものとして不適法を免れない。

二、次に、竹本等三名の原告についての訴訟要件について職権をもって調査する。

(一)  右原告等は、被告が市交通局の職員である原告等に対し昭和二四年九月一二日付でその意に反し免職処分としての解傭処分をなしたとして、本訴においてその無効確認を求めるものである。ところで、行政処分の無効確認訴訟においては、その対象たる行政処分が外観上有効に存在することが、訴訟要件を成すところ、本件において、成立に争のない≪証拠省略≫並に弁論の全趣旨を総合すると、右原告等はいずれも昭和二四年九月一二日付で市交通局長に宛て辞職願又は退職届を提出し、任免権者の承認の下に同日付で依願解傭処分を受けたことが認められ、右原告等に対してその意に反する免職処分としての解傭処分の存する事実を認めるに足る証拠はない。しかも、公務員の労働関係における依願解傭処分と免職処分としての解傭処分とは、私企業にみられる従業員の合意退職と一方的解雇に準ずる観念であって、右両者は離職の行政処分としての形式、要件を異にするものであるが、右原告等は本件において、前記認定の依願解傭処分の無効確認を求める訴旨でないことも、弁論の全趣旨に照して明かである。そうすると、右原告等の本訴については、結局、その無効確認を求めるところの、本人の意に反する免職処分としての解傭処分が存在しないことに帰するから、訟訴要件を欠くものとして不適法を免れない。

(二)  仮に右原告等の訴旨が前記認定の依願解傭処分の無効確認を求めるものであったとしても、以下において説示するとおり、右原告等は、本件訴につき権利保護の利益を欠くものというべきである。

労使関係の法的安定は労使双方にとって極めて緊要であり、したがって、労使間の法的紛争の早期解明は、使用者の経営秩序のためにも、労働者の生活安定のためにも要請されるところである。このことは、労働組合法第二七条三項(ただし、昭和二七年の法改正で追加)が労働委員会に対する不当労働行為救済の申立について行為時より一年の除斤期間を定め、労働基準法第一一五条が同法の規定による賃金、災害補償その他の請求権の消滅時効の期間を二年の短期間とし、同法第一一四条が労働者の附加金の支払請求権について二年の除斥期間を設け、地方公務員法の旧第四九条四項が不利益処分に対する職員の審査申立期間を説明書交付の時から三〇日以内(なお、現行の同法第四九条の三では、六〇日以内とし、一年の除斥期間を設けている)と定めていることなどからもうかがわれる。かかる労使間の法的紛争の早期解明の要請は労働関係の特殊性に由来するものであって、法がかかる紛争に関して、裁判所に対する提訴期間を規定していないことによって、否定されるものではない。使用者が従業員に対して、解雇事由の存することを知りながら雇用関係を継続し、長期にわたって解雇権を行使しないでいるときは、使用者は後に至って当該解雇事由を理由にしては、もはや解雇しえなくなる。この場合、その法律構成は個々の事実に応じて種々考案されるであろうが、使用者のかかる行動の裡に、当該解雇事由によっては雇用関係の継続を期待し難いものとはみなさないとして、解雇権の放棄を認定するを相当とする場合も存する。解雇又は合意退職に対する従業員側の態度についても、同様のことがいえるのであって、従業員が解雇又は合意退職によって職場を離れ、その解雇又は退職における使用者側の事由又は意図を知りながら、長期にわたってその効力を争う措置に出ず、信義則ならびに慣行上、雇傭関係の継続がすでに期待し難いものとして取扱われてもやむを得ないと解せられる状況にあるときは、当該従業員において、その解雇又は退職の効力を争う意思をすでに放棄したものと認定するを相当とする場合が存する。そして、かかる思考過程は、前述の労使間における紛争の早期解明による法的安定の要請に発するものにほかならないのであって、右原告等のような公務員関係にも妥当する。

本件において、江田等八名の原告が本件処分後いち早く大阪府地方労働委員会に対し、右処分が不当労働行為であると主張してその救済を求める申立をなしたことは、≪証拠省略≫および弁論の全趣旨に徴し明かであるから、竹本等三名の原告としても本件整理につき争う術のあることは知悉していたものと解せられる。しかるに、右原告等は、前記認定のとおり昭和二四年九月一二日付で辞職願又は退職届を提出して職場を去り、じらい昭和三五年二月三日本件訴を提起するに至るまで一〇年余りの間当局に対しては勿論、労働委員会又は裁判所に対し何等の法的救済の手段を講じなかったことは弁論の全趣旨に徴して明かであるから、信義則上雇傭関係の継続を期待し難いものとして取扱われてもやむを得ない状況にあるものと解するを相当とする。これらの点を前述の労使間における紛争の早期解明による法的安定の要請とあいまって信義則に照して考えると、右原告等は、本訴提起当時既に本件整理の効力を争う意思を放棄していたものと認めるのが相当である。そうすると、右原告等は、不起訴の合意がある場合と同様、本件訴につき権利保護の利益を欠くものというべきである。従って、右原告等の訴は、この点からしても訴訟要件を欠くものとして不適法を免れない。

三、以上のとおり、原告等の本件訴は結局不適法であるから、本案について判断するまでもなく、これを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 木下忠良 裁判官 岩川清 大須賀欣一)

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